2019年 07月 18日
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 |
6月にブレディみかこさんの『こどもたちの階級闘争』を読んで痛く感動した私は、著者とアイルランド人の夫の間に生まれた《ぼく》に非常に興味をひかれた。『子どもたちの階級闘争』では、ほとんど登場しなかった一人っ子の少年である。
こんな環境で生まれた少年がどんなふうに育つのか、ある意味ヤジ馬根性的な興味もあった。
いや、面白い。イメージ的には小柄で繊細で、優しい少年が、ごちゃ混ぜの公立中学の子どもたちの中でスイスイと泳ぎ、時には母ちゃんである著者をうならせる言葉を吐く。
もちろん、その中で彼なりの苦労をし考えぬいたあげくのことなのであろうが、大人と違って観念に縛られないぶん、自由で逞しい。
もちろん、その中で彼なりの苦労をし考えぬいたあげくのことなのであろうが、大人と違って観念に縛られないぶん、自由で逞しい。
問題山積の公立中学への進学を自ら選んだのは、『子どもたちの階級闘争』の中で闘う母親の背後を見て育ったからかもしれない。
そして、それがよかったと思える。
表題の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は少年がノートの隅っこに書いていた言葉で、イエローはみかこ氏、ホワイトは父親、ブルーは文字通りとればちょっと落ち込んでいた時の落書きのように思えるが、実は彼はブルーを《怒り》と訳して先生から✖をもらっている。本当の意味を知ってからのものかどうかは、いまだにわからないと著者はいう。
たおやかで、湧きでる水のようにすがすがしい少年は、誰も付き合おうとしない仲間外れの少年とも分け隔てなく付き合い、ぼろぼろの制服を着た同級生にはどうやったら彼を傷つけず仕立て直しの制服を受け取ってもらえるか気を遣う。
だから、たまには知恵熱らしい発熱も。でも、翌日はスッキリとして登校するのである。
そして終わりは、《ぼくはイエローでホワイトでちょっとグリーン》になる。
この少年の行く末を見てみたい。
子どもを信頼し、自分も懸命に生きる。私はもう遅すぎたけれど、これから子どもたちにかかわるすべての大人に読んでほしい本だ。
by kusuo522
| 2019-07-18 12:54
| 本と絵本
|
Comments(0)